日本人で初めて宇宙へ行ったことで知られる秋山豊寛(あきやま・とよひろ)さんが亡くなったことが、2026年9月1日に報じられました。
84歳でした。
報道によると、秋山さんは2026年8月26日に死去し、葬儀は近親者で営まれたということです。
秋山さんといえば「日本人初の宇宙飛行士」として有名ですが、もともとは宇宙開発の研究者ではありません。
実はTBSの記者・ジャーナリストでした。
1990年、TBSの「宇宙特派員」として旧ソ連の宇宙船ソユーズに搭乗。
日本人で初めて宇宙へ飛び立ち、宇宙ステーション「ミール」から地球の様子を伝えました。
さらにTBS退社後には農業を始め、その後は大学教授も務めるなど、非常に異色の経歴を持っています。
この記事では、秋山豊寛さんとはどんな人物だったのか、経歴やプロフィール、宇宙飛行士になった経緯などを詳しく紹介します。
秋山豊寛さん死去 元TBS記者、日本人初の宇宙飛行https://t.co/qFuwXJT1QV
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) September 1, 2026
秋山豊寛さんが84歳で死去
2026年9月1日、日本人初の宇宙飛行士として知られる秋山豊寛さんの訃報が報じられました。
秋山さんは8月26日に84歳で亡くなったと報じられています。
秋山さんは1990年12月2日、旧ソ連の宇宙船「ソユーズTM-11」に搭乗。
日本人として初めて宇宙へ行きました。
「日本人初の宇宙飛行士」というと毛利衛さんを思い浮かべる人もいるかもしれません。
しかし、実際に日本人として最初に宇宙へ行ったのは秋山豊寛さんです。
JAXAも、日本人で初めて宇宙へ行った人物について、1990年12月2日にソユーズTM-11号で宇宙へ行ったTBS社員(当時)の秋山豊寛さんと説明しています。
毛利衛さんがスペースシャトル「エンデバー」に搭乗したのは、その約2年後となる1992年9月です。
秋山豊寛のプロフィール
秋山豊寛さんの基本プロフィールをまとめました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 秋山 豊寛 |
| 読み方 | あきやま とよひろ |
| 生年 | 1942年 |
| 出身地 | 東京都 |
| 年齢 | 84歳没 |
| 出身大学 | 国際基督教大学(ICU) |
| 職歴 | TBS記者・ジャーナリスト |
| 主な経歴 | 日本人初の宇宙飛行 |
| 搭乗宇宙船 | ソユーズTM-11 |
| 滞在先 | 宇宙ステーション「ミール」 |
| TBS退社後 | 農業・執筆・講演活動など |
| 大学 | 京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)教授 |
| 死去 | 2026年8月26日 |
秋山さんは1942年、東京都生まれ。
国際基督教大学を卒業後、1966年にTBSへ入社しました。
ここから、日本人初の宇宙飛行へとつながる異色のキャリアが始まります。
秋山豊寛の経歴まとめ
秋山豊寛さんの人生を時系列で簡単にまとめると、
1942年
東京都に生まれる
↓
1966年
国際基督教大学を卒業
TBSに入社
↓
TBS記者として活動
ロンドン駐在、政治部、外信部、ワシントン支局長などを経験
↓
1989年
TBS宇宙特派員に選ばれる
↓
1990年12月2日
ソユーズTM-11で宇宙へ
日本人初の宇宙飛行を達成
↓
1990年12月10日
地球へ帰還
↓
1995年
TBSを退社
↓
福島県で農業を始める
↓
2011年
東日本大震災・福島第一原発事故により福島を離れる
↓
京都造形芸術大学教授に就任
↓
2018年
大学教授を退任
↓
2026年8月26日
84歳で死去
となります。
宇宙飛行だけを見ると「宇宙飛行士」というイメージが強い秋山さんですが、その人生を追っていくと、
ジャーナリスト
↓
宇宙飛行士
↓
農民
↓
大学教授
という、かなり珍しい経歴を歩んでいることが分かります。
秋山豊寛の学歴は国際基督教大学
秋山豊寛さんは**国際基督教大学(ICU)**を卒業しています。
国際基督教大学同窓会のプロフィールによると、1966年に社会科学科を卒業。
同年、TBSへ入社しました。
つまり、秋山さんはもともと航空宇宙工学などを専門に勉強していた人物ではありません。
大学卒業後に進んだのも宇宙関連企業ではなくテレビ局です。
ここが秋山さんの経歴で非常に面白いところでしょう。
大学卒業後はTBSへ入社
1966年に国際基督教大学を卒業した秋山豊寛さんは、TBSへ入社します。
TBSでは、
ロンドン駐在
外信部
政治部記者
ワシントン支局長
などを経験。
国際報道を中心に、ジャーナリストとしてキャリアを積んでいきました。
宇宙へ行く前の秋山さんは、宇宙飛行士というよりバリバリの報道記者だったのです。
その後、TBSが立ち上げたある壮大なプロジェクトによって人生が大きく変わります。
なぜTBS社員が宇宙飛行士になった?
秋山豊寛さんが宇宙へ行くきっかけとなったのが、TBSの**「宇宙特派員計画」**でした。
TBSは創立40周年事業として、
「ジャーナリストを宇宙へ送り、宇宙から報道する」
という前例のないプロジェクトを企画します。
1989年、秋山さんはその宇宙特派員に選ばれました。
その後、旧ソ連の宇宙飛行士訓練施設で本格的な訓練を受けます。
そして1990年12月2日。
秋山さんは旧ソ連のバイコヌール宇宙基地から、宇宙船ソユーズTM-11に搭乗して宇宙へ飛び立ちました。
当時48歳。
こうして秋山さんは、
日本人で初めて宇宙へ行った人物
となったのです。
日本人初の宇宙飛行士になった秋山豊寛
1990年12月2日、秋山豊寛さんを乗せたソユーズTM-11は宇宙へ向かいました。
目指したのは、地上約400kmの軌道を周回していた旧ソ連の宇宙ステーション**「ミール」**です。
秋山さんはミールに滞在し、宇宙での生活や地球の姿などを日本へ伝えました。
TBSの宇宙特派員だったため、
「宇宙へ行って研究する」
だけではなく、
「宇宙からニュースを伝える」
という役割を担っていたことが特徴です。
宇宙滞在は約9日間。
放送ライブラリーによると、宇宙の旅は189時間55分に及びました。
「これ本番ですか?」の第一声が有名
秋山豊寛さんの宇宙飛行で有名になった言葉があります。
宇宙から地球へ向けて発した第一声として知られる、
「これ本番ですか?」
です。
壮大な宇宙飛行の第一声としては、かなり人間味がありますよね。
TBSのアーカイブでも、この言葉は「いかにもテレビマンらしい」と話題になったエピソードとして紹介されています。
秋山さんが宇宙飛行士であると同時に、
テレビマン・ジャーナリストだった
ことを象徴する言葉ともいえるでしょう。
毛利衛より秋山豊寛のほうが先に宇宙へ行っていた
「日本人初の宇宙飛行士は毛利衛さんでは?」
と思った人もいるかもしれません。
実は、
秋山豊寛さん:1990年12月2日
毛利衛さん:1992年9月12日
なので、秋山さんのほうが約1年9か月早く宇宙へ行っています。
JAXAも、
日本人として初めて宇宙へ行った人物=秋山豊寛さん
としています。
一方、毛利衛さんは日本人として初めてNASAのスペースシャトルへ搭乗した人物です。
そのため、
「日本人初の宇宙飛行=秋山豊寛」
「日本人初のスペースシャトル搭乗=毛利衛」
と覚えると分かりやすいでしょう。
宇宙から地球を見て人生観が変わった
宇宙から帰還した秋山豊寛さんの人生は、さらに大きく変化していきます。
秋山さんは後年、宇宙から見た地球について、薄い大気に覆われた地球の美しさに強い印象を受けたことを語っています。
そして宇宙飛行から約5年後、TBSを退社。
テレビ局の幹部としてキャリアを続けるのではなく、農業の道へ進みました。
日本人初の宇宙飛行士が、その後に農民になる。
これも秋山さんの人生を象徴するエピソードの一つです。
TBS退社後は福島県で農業
秋山豊寛さんは1995年にTBSを退社。
その後、福島県で農業を始めました。
有機農業などに取り組み、しいたけ栽培にも携わっています。
宇宙から地球を見た人物が、今度は土に触れて作物を育てる生活へ。
秋山さん自身も、宇宙体験を振り返り、
「地に足がついた生き方」
をしようと考えたことが農業につながったと語っています。
ジャーナリストとして世界を取材し、宇宙から地球を見たあとに農業へ進んだという人生は、非常に印象的です。
東日本大震災・原発事故で福島を離れる
農業を続けていた秋山さんに、再び大きな転機が訪れます。
2011年3月の東日本大震災と福島第一原発事故です。
福島で農業を営んでいた秋山さんは、原発事故によってその土地を離れることになります。
秋山さんはかつてジャーナリストとしてチェルノブイリ原発事故なども取材していました。
その本人が福島第一原発事故によって農業生活を続けられなくなったというのは、皮肉な出来事でもありました。
その後、秋山さんは新たな道へ進みます。
京都造形芸術大学の教授に就任
2011年、秋山豊寛さんは**京都造形芸術大学(現在の京都芸術大学)**の教授に就任しました。
大学では、自身の人生経験や農業などを通じて学生を指導しました。
大学側の紹介でも、
「宇宙飛行士・農民・ジャーナリスト」
という異色のプロフィールで紹介されています。
そして2018年に教授を退任。
宇宙飛行士としてだけでなく、ジャーナリズム、環境、農業、教育など幅広い分野に関わった人生でした。
秋山豊寛はどんな人物だった?
秋山豊寛さんの経歴を振り返ると、一つの肩書きだけでは説明できない人物だったことが分かります。
ジャーナリスト
として世界を取材し、
宇宙飛行士
として日本人で初めて宇宙から地球を見て、
その後は、
農民
として土と向き合い、
さらに、
大学教授
として若い世代に自身の経験を伝えました。
「日本人初の宇宙飛行士」という実績だけでも歴史に残る人物ですが、その後の生き方も非常にユニークです。
特に、宇宙から地球を見た経験が環境や農業への関心につながっていった点は、秋山さんを知るうえで重要なポイントでしょう。
秋山豊寛の主な著書
秋山豊寛さんは、自身の宇宙体験などについて複数の本も残しています。
代表的なものには、
『宇宙特派9日間―日本人初 宇宙飛行士の体験全記録』
『こちら宇宙特派員!』
『宇宙と大地』
『鍬と宇宙船』
などがあります。
タイトルを見るだけでも、
「宇宙」と「大地」
という二つの世界が秋山さんの人生を象徴していることが分かります。
宇宙飛行だけでなく、その後の農業や環境に対する考え方まで知りたい人には興味深い著作でしょう。
まとめ|秋山豊寛は日本人初の宇宙飛行士だった
日本人初の宇宙飛行士として知られる秋山豊寛さんが、2026年8月26日に84歳で亡くなったことが報じられました。
秋山さんの経歴をまとめると、
1942年:東京都に生まれる
1966年:国際基督教大学卒業・TBS入社
TBSでロンドン駐在、政治部、外信部、ワシントン支局長などを経験
1989年:TBS宇宙特派員に選出
1990年:ソユーズTM-11に搭乗し、日本人初の宇宙飛行
1995年:TBS退社
その後:福島県で農業
2011年:京都造形芸術大学教授に就任
2018年:大学教授を退任
2026年8月26日:84歳で死去
という歩みでした。
秋山さんが宇宙へ飛び立ったのは、毛利衛さんより約2年早い1990年。
しかも宇宙開発機関の研究者ではなく、テレビ局のジャーナリストとして宇宙へ行ったという異色の経歴を持っています。
宇宙から地球を見たあとにはTBSを退社し、福島県で農業を開始。
さらに原発事故を経験した後は大学教授として教育にも携わりました。
「ジャーナリストから宇宙へ、宇宙から大地へ」
という秋山豊寛さんの歩みは、日本の宇宙開発史だけでなく、テレビ報道史にも残る特別なものだったといえるでしょう。





