日本では西暦とは別に元号が使われていて、今は「令和」です。
この「令和」、日本では何番目の元号になるのか?
ご存知ですか?
そもそも元号とはいつから始まったのか?その由来は?
さらに、歴史上最も長かった元号は?
逆に最も短かった元号は?
いろいろと知りたいことがありますね。
そこで、元号について様々な雑学をまとめてみました。
元号の令和は何番目?
元号の令和は何番目?元号の歴史と由来もわかりやすく解説
「令和」は、645年の「大化」から数えて248番目の元号となります。
「令和」の典拠は、1200年余り前に編纂された日本最古の歌集『万葉集』に収められた「梅花の歌三十二首 序文」にあります。
初春の令月にして(しょしゅんのれいげつにして)、気淑く風和ぎ(きよくかぜやわらぎ)、梅は鏡前の粉を披き(うめはきょうぜんのこをひらき)、蘭は珮後の香を薫ず(らんは はいごのこうをくんず)。
上記の文言を引用したもので、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められた元号となっています。
元号の歴史と由来
日本で元号が使われるようになったのは、7世紀中頃です。
最初の元号は「大化(たいか)」でした。
当時の日本では、唐(=中国)の文化や制度を学ぶために、遣唐使(けんとうし)を送っていました。
その中には、中国の暦(こよみ)も持ち帰ってきた留学生がいました。
中国では、年を数える方法として元号を使うことが決められていたので、日本でも645年の政治改革をきっかけに元号が使われることになったのです。
最初の元号である大化の後、しばらくは元号が使われたり使われなかったりする時期がありましたが、701年の「大宝(たいほう)」から元号を付ける制度が定められ、現在までずっと元号が使われています。
元号を変更するルール
なぜ日本の元号の数が多いのかというと、元号を変更するルールが現在と過去では異なるためです。
「明治」からは、新たな天皇が即位するときに新しい元号に変えることが決まりました。
しかし、それ以前は、地震や火災、天災が起きた時や逆に美しい自然現象があった時など、様々な理由で元号が変更されていました。
元号を変えることは、それまでの時代をリセットして新たな時代を始めるという意味合いが込められていたのです。
もしも明治時代までに元号を変更するルールが定まっていなかった場合、今でももっと短い間隔で元号が変わっていた可能性があります。
日本の元号は、その時代の歴史や出来事、天候などに密接に関連しているため、元号を知ることでその時代の背景や特徴を知ることができます。
一番短い元号は?
元号は、日本の歴史において重要な役割を果たしてきました。
江戸時代までは、元号は天皇の即位や災害、遷都、戦乱、祥瑞などの理由によって改元されていました。
その中で、一番短い期間で使われた元号は、たった2カ月14日間だった「暦仁」です。
暦仁は元禄4年(1691年)に改元されましたが、わずか2カ月後に元号が変更されることとなりました。
次に短い期間の元号は、3カ月15日間の「天平感宝」です。
この元号は、元慶2年(877年)に改元されましたが、3カ月で終了しました。
一番長い元号は?
日本の歴史上、最も長く使用された元号は、「昭和」です。
昭和は、1926年から1989年までの62年13日間にわたって使用されました。
この元号は、昭和天皇の即位から薨去までの期間をカバーしています。
昭和時代は、戦争や復興、高度経済成長など、日本の歴史において重要な出来事が数多く起こった時代であり、その長い期間にわたって元号が継続されたことは、その時代の特徴を象徴しています。
2位は明治で、 「1868年ー1912年」44年187日。
3位応永で、3代将軍足利義満の時代「1384年ー1428年」35年。
4位は平成で、「1989年ー2019年」31年。
平成も長かったのです。
5位は平安時代の延暦で、「782年ー806年」25年。
平安京に遷都した年でもあります。
元号のまとめ
元号の期間は、時代の変遷や歴史の流れによって決まるものであり、短いものから長いものまでさまざまです。
それぞれの元号が持つ意味や背景を把握することで、日本の歴史や文化の理解が深まるのではないでしょうか。