photo credit: Nemo's great uncle #3405 平安朝:公家女房唐衣裳束装姿 via photopin (license)
平安時代の女性の装束として知られる十二単。
12枚の着物を重ね着するからと思っていませんでしたか?
実は、衣の数じゃないんです。
では、なぜ十二単なのか?
その意外な語源と誕生秘話をご紹介したいと思います。
十二単の値段や重さなども調べてみましたので、最後までお付き合いくださいね。
十二単の語源
十二単は平安時代中期の成人女性の正装。
正式名称は「五衣唐衣裳」です。
・唐衣(からぎぬ)
・表着(うはぎ)
・打衣(うちぎぬ)
・五衣(いつつぎぬ)
・単衣(ひとえ)
・長袴(ながばかま)
・裳(も)
上記の装束をまといます。
五衣唐衣裳を十二単と呼ぶようになったのは、『平家物語』が由来。
異本である『源平盛衰記』にある次の言葉が元になっています。
「弥生の末の事なれば、藤がさねの十二単の御衣を召され」
この言葉が取り違えられてしまったのです。
このことからわかるように、
十二単の「十二」は衣の数ではありません。
では、なぜ十二単なのか?
実は、十二は「十二分」という意味なのです。
着物を何枚も重ね着して十二分に着ているというわけです。
では、実際は何枚ぐらい着ていたのか?
少ない場合は5枚くらい。通常は10枚弱。多い場合は20枚以上。
十二単の数には決まりはなかったようです。
十二単はなぜ誕生した?
十二単が生まれたのは、気温が関係しています。
平安時代の平均気温は現代よりも1℃ほど低く、京都は非常に寒かったと言われています。
そのため、防寒のために重ね着していました。
つまり、十二単は防寒着でもあったのです。
十二単の重さは?
十二単は20キロほどの重さがあります。
そのため、重すぎて歩けないということも。
室町時代には5枚になり、以降は五衣(いつつぎぬ)と呼ばれました。
十二単の値段は?
豪華絢爛な十二単。
さぞかしお値段も高いのでは?
調べてみると、やはり高価でした。
安いもので数百万円。
高いものになると、1000万円以上するようです。
ちなみに、過去の例で言うと、
美智子上皇后の十二単は約1300万円と言われています。
30年以上前でこの値段なので、
雅子皇后の十二単は相当な値段になると思われます。
ちなみに、結婚式で十二単をレンタルすると、
おおよその料金は100万円くらいだそうです。
十二単の着付けは?
十二単でやはり気になるのが着付け。
かなり大変そうです。
そこで、十二単の着付け動画を探してみました。
なかなか見応えがありますね。
さすがは日本の伝統文化といった感じです。
まとめ
いかがでしたか?
十二単は着物の数じゃないことを知らなかった人は多いのでは?
元々は防寒着として誕生したというのも面白いですね。
しかも、防寒着なのに、美しい色遣い。
これぞ日本独自の雅の心と言えそうです。