悪事を働くことを「手を染める」と言いますよね。
ところが。悪事をやめるときは「足を洗う」と言います。

手を染めたのに洗うのはなぜ足なのか?

不思議に思ったことはありませんか?
実は、これにはちゃんとした理由があります。

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手を染めるの語源

「手を染める」という言葉はもともとは「染める」ではありませんでした。

「染める」は元は「初(そ)める」で、「はじめる」という意味でした。
「書き初め」とか「お食い初め」など、今でも使われます。
悪いことを始めるという意味ではなかったのです。

手を染めるを初め使ったのは谷崎潤一郎

手を染めるという表現は小説家・谷崎潤一郎が使ったのが最初です。

小説「吉野葛」を執筆中に、ほんの遊び心で使ったと言われています。

要するに普通世間に行き亘っている範囲では、読み本にも、浄瑠璃にも、芝居にも、ついぞ眼に触れたものはないのである。そんなことから、私は誰も手を染めないうちに、自分が是非共その材料をこなしてみたいと思っていた。

(『吉野葛』(谷崎潤一郎、1931年))

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なぜ「手を染める」が悪い意味になったのか?

では、「手を染める」はなぜ悪いことをするという意味になったのか?

これは染め物が関係しています。
染め物で汚れてしまった手はなかなかきれいにならない。

つまり、なかなか汚れが落ちないことから、
汚れイコール悪事になったのです。

足を洗うの語源

「足を洗う」の語源は仏教の修行僧から来ています。

僧が外に行って裸足で修行をして寺に戻る。
そして、建物に入るときに汚れた足を洗う。

これが「足を洗う」という言葉の本来の意味です。

俗世間の煩悩を洗い清めることに由来します。

外界は煩悩に満ちた汚れた世界と考えられ、
そこでの行いは悪事とみなされたのです。

まとめ

いかがでしたか?

「手を染める」のに「足を洗う」理由がわかってもらえたのではないでしょうか?

この2つの言葉はもともと由来が違います。

染物と修行僧という別の事柄が語源になっているため、手と足になってしまったと考えられます。

もし「手」で統一するなら、
「手を染める」→「手を切る」「手を引く」という表現になります。

一方、「足」で統一するなら、
「足を突っ込む」→「足を洗う」という感じでしょうか?

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